1980年

コリーヌ・メンツェロプロス:父の後継として

「メドックのギリシャ人」の到着に非常に警戒を抱いていたフランスのワイン業界は、アンドレ・メンツェロプロスの死の後、さらにその懸念を強めました。この矛盾は、疑いを持った人々をアンドレ・メンツェロプロスがそのエネルギーと先見の明で説き伏せたことと、そしてシャトー・マルゴーに注いだ情熱により短い期間にワインの品質とドメーヌの評判を取り戻したことから生まれました。
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「メドックのギリシャ人」の到着に非常に警戒を抱いていたフランスのワイン業界は、アンドレ・メンツェロプロスの死の後、さらにその懸念を強めました。この矛盾は、疑いを持った人々をアンドレ・メンツェロプロスがそのエネルギーと先見の明で説き伏せたことと、そしてシャトー・マルゴーに注いだ情熱により短い期間にワインの品質とドメーヌの評判を取り戻したことから生まれました。

彼の娘、コリーヌ・メンツェロプロスは父の業績に挑まなくてはなりませんでした。父の死に際し、コリーヌはすでにフェリックス・ポタンを運営する会社プリミステールのコントローラーとして、ファミリーグループを統合させました。父が選んだチームにサポートされ、彼女はマルゴーが新たなチャレンジに挑めるよう父が決めた投資プログラムを引き継ぎ、1982年以降、ボルドーワインの世界的な大ブームを作り出したのです。グラン・クリュ・クラッセに最初に熱狂したのはアメリカ人でした。続いてイギリス、ドイツのもともとボルドーワインに対する知識のあった人々がそれに加わりました。そして日本、香港、またはシンガポールの愛好家や、ロシア人、中国人、インド人、ブラジル人などがボルドーワインを買い求めたのです。

ボルドーのワインは何世紀も前から様々な人に愛されてきましたが、このように大きな成功となったのは初めてのことでした。世界各地の愛好家たちがボルドーにやってきて試飲をし、比較し、そして批評をするほどまでになったのです。

ボルドーは素晴らしいミレジメに続いて恵まれました。特に2009年と2010年の出来栄えは素晴らしいものでした。同時にフェリックス・ポタン社は再構成され、店舗と不動産は譲渡されました。そしてその後Exorとなったグループが当時世界で主要なミネラルウォーター会社、ペリエの筆頭株主となりました。そのため、コリーヌにとっては、グループを発展させるためにサポートを見つける必要がありました。というのは一人で経営するのは賢明でないと考えたからです。1990年代初頭、コリーヌ・メンツェロプロスは当時フィアット社の社長を務めていたGianni Agnelliの一族を頼りました。この関係は十数年続き、2003年Agnelliグループがシャトー・マルゴーから撤退することを決定するまで続きました。そのすぐにコリーヌはAgnelliグループが所有していた持ち分を買い取り、ドメーヌの独占株主となったのです。